AI時代でも「人事」であり続けるために、どんな考え方・情報源・習慣をやめた/減らしましたか?AI時代でも人事であり続けるために、まず見直したのは、「ロジックで説明できること=正しい判断」という前提でした。ここでいうロジックとは、理論や公開データ、他社事例を根拠に説明することです。人事の仕事をしていると、提案はできるだけロジックで固めたくなるものです。私自身も、ロジックで武装するほど説得力が増すと信じていました。それは決して間違いではありません。ただ、いつの間にか「説明できること」を優先するあまり、「本当にこの組織に合うか」という問いが後回しになっていました。そこでまず、他社事例への依存を減らしました。成功事例は確かに参考になりますが、文脈が違えば再現されません。それでも使いたくなるのは、「外さないためのロジック」に寄りかかりたい気持ちがあるからでしょう。しかし、人と組織はそもそも再現性が低い。事例は答えではなく、問いを深めるための材料だと捉え直しました。情報の取り方も変えました。整理されたレポートやサーベイ結果よりも、現場の会話、表情、会議の温度感といった一次情報を重視するようにしました。数字は傾向を示してくれますが、その理由までは教えてくれないことが多いからです。習慣としてやめたのは、違和感をすぐ分析で回収することです。以前は「なぜそうなるのか」と即座に分解していましたが、今はあえて一度そのまま置いておく。振り返ると、重要な兆候はロジックよりも、最初の違和感に表れていることが少なくありません。もちろん、ロジックを捨てたわけではありません。ただ、ロジックを“拠り所”にしすぎるのをやめた、という感覚です。AIがロジックや情報整理を高速でこなす時代だからこそ、人事に求められるのは説明の巧さよりも「見立ての精度」。そのために、頼りすぎていた思考や習慣を一度緩めることから始めました。それを続けていたことで、視点の偏りや意思決定の歪みはどのように生まれていましたか?一番大きかったのは、「説明しやすい判断」に無意識に寄っていたことです。ロジックに依拠するほど、提案は整って見えます。誰に対しても合理的に説明でき、合意も得やすい。ただその分、「波風は立たないが、組織も大きくは動かない」判断を選びやすくなっていました。本来、人や組織に関する重要な意思決定は、どこかに違和感や痛みを伴うものです。それでも私は、「反対されにくさ」や「整合性」を優先し、結果として無難な選択を積み重ねていました。もう一つの偏りは、平均値で組織を見る癖です。データは全体傾向を捉えるには有効ですが、実際に組織を動かすのは、少数のキーパーソンや強い影響力を持つ個人であることが多い。にもかかわらず、分析を重ねるほど思考は“全体最適”に引っ張られ、個の力学を見落としがちでした。さらに言えば、ロジックに頼ることで、自分の違和感を後回しにする癖もついていました。「データがそう示しているから」「一般的にはこうだから」と、自分の感覚をいったん脇に置いてしまう。しかし振り返ると、見立てを外した意思決定の多くには、最初に小さな違和感がありました。それをロジックで打ち消していたのは、ほかでもない自分でした。ロジックは判断を支えてくれますが、責任までは取ってくれない。その当たり前の事実に、実務を通じて気づかされました。それ以降は、「論理的に正しいか」だけでなく、「この組織にとって本当に自然か」という視点を持つようになりました。やめる・減らす判断をする際に、最後まで手放しづらかった考え方や立場、失うと感じたメリットは何でしたか?最後まで手放しづらかったのは、「ロジックで語れる人事であることが、プロフェッショナルの証だ」という考え方でした。ロジックで裏づけられた提案は、相手に安心感を与えますし、自分自身も「妥当なことを言っている」という確信を持てます。否定されにくく、合意も得やすい。ある意味で、論理は自分を守ってくれる道具でもありました。それを緩めるということは、「一般論ではなく、あなたはどう考えるのか」と問われる立場に近づくことでもあります。これは思っていた以上に覚悟が要りました。また、失うと感じたのは、分かりやすい専門性でした。フレームワークや理論で語れば、専門家らしく見える。一方で、直感や違和感は、そのままでは説明しづらく、誤解されることもある。「それは個人の感覚では?」と言われれば、反論もしにくい。さらに言えば、「合理的である人事でいたい」という自分なりの職業観もありました。人事は感覚ではなく、理性で判断すべきだという思い込みです。ただ実際には、経営の重要な意思決定ほど、最後は説明しきれない要素を含みます。将来への賭け、人への期待、タイミングの見極め。そこには必ず不確実性がある。それを間近で見てきた中で、論理だけに寄りかかることの限界を認めざるを得ませんでした。結局のところ、手放したのは論理そのものではなく、「論理に隠れて、判断から距離を取る姿勢」だったのだと思います。自分の見立てに責任を持つために、その後ろ盾を少し減らした。感覚としては、それに近いのかもしれません。手放したことで、問いの立て方や物事の見え方、行動や成果はどのように変わりましたか?一番変わったのは、問いの立て方が「正しいかどうか」から「何が起きているのか」へと寄ったことです。以前は、「どの施策が合理的か」「どの制度が一般的か」といった、“正解探し”の問いを立てがちでした。今は、「この組織で、いま本当に起きていることは何か」「人は何に反応しているのか」という問いを先に置くようになりました。問いが変わると、見える景色も変わります。制度や仕組みそのものより、関係性や空気感、言葉の選び方といった要素に自然と目が向くようになりました。行動面でも変化がありました。すぐに解決策を提示することが減ったのです。以前は、人事として価値を出そうとするほど、「ではこうしましょう」と早く答えを出していました。今はむしろ、対話を少し長く取る。背景や感情を聞く時間を増やす。一見遠回りに見えても、結果として納得度の高い意思決定につながることが増えました。成果の面で言えば、“きれいにまとまった施策”より、“実際に動く決定”が増えた感覚があります。完璧な設計より、腹落ちして進む選択。その方が、後戻りも少ない。もう一つの大きな変化は、自分自身が「分からない」と言えるようになったことです。ロジックに頼っていた頃は、答えを持っていることが価値だと思っていました。今は、良い問いを出せることの方が価値があると感じています。結果として、人事としての役割も少し変わりました。解決策を出す人から、見立てを共有する人へ。正解を示す人から、判断を支える人へ。ロジックを手放したというより、ロジックの外にある情報も拾えるようになった。それが、問い・見え方・行動のすべてに影響している。そんな実感があります。もし今、視野や問いが狭まっていると感じる人がいるとしたら、今すぐ1週間で見直せる具体的なポイントは何だと思いますか?大きな自己変革は要りません。視野を広げるのに必要なのは、新しい知識よりも、見方の癖を少し揺さぶることだと思っています。1週間でできることは、意外とあります。① 結論を出すスピードを意図的に遅らせる違和感を覚えたとき、すぐに「つまりこういうことですね」とまとめない。一度、「他の解釈はないか?」と自分に問い直す。視野が狭まるときほど、人は早く理解した気になりやすいものです。② 一次情報に触れる時間を増やすレポートや要約資料ではなく、現場の雑談、会議での表情、何気ない一言に耳を傾ける。組織の変化は、正式な資料よりも先に、日常の会話に表れます。③ “違和感メモ”をつける1日1つで十分です。「なぜか気になったこと」を書き留める。後から見返すと、同じ種類の違和感が繰り返し出ていることがあります。そこに本質的な論点が隠れていることが多い。④ 自分と前提が違う人と話す同じ職種・同じ役職の人とばかり話していると、問いも似てきます。若手、現場、他部門など、見ている景色が違う人と短時間でも話す。それだけで、自分の前提が揺さぶられます。⑤ 「それは本当に問いか?」と疑う多くの場合、最初に設定した問いが、すでに狭いことがあります。「離職率を下げるには?」ではなく、「なぜここで働き続けたいと思えないのか?」問いを一段深くするだけで、見える景色は変わります。突き詰めると、視野が狭まる原因は忙しさではなく、“分かったつもりになる速さ”だと思っています。1週間でできる見直しは、知識を増やすことより、分かったつもりを減らすこと。それだけでも、問いの質は確実に変わります。本記事は、NewsPicks Expertに登録する各業界のエキスパートが、自身の経験から「やめたこと・減らしたこと」を言語化する寄稿企画「#引き算の仕事術」の一編です。思考や意思決定、専門性、マネジメントといった多様な視点からの寄稿は、以下の一覧ページよりご覧いただけます。https://newspicks.expert/media/category/subtraction-workstyleこうした経験の言語化は、日々の実務の中で積み重ねられてきた知見そのものでもあります。本記事を通じて生まれた視点や問いが、これからの働き方やキャリアを見つめ直すきっかけとなり、それぞれの現場での新たな選択へとつながっていくことを願っています。実務の中で培われた経験は、言葉にして共有されることで、企業の中で意思決定を担う人を支える知見へと変わります。こうした知見が生まれる場についても、続けてご紹介します。