Prologue
DXの必要性が叫ばれる昨今。社内にデジタル専門の組織を設ける企業は増えているが、実際の取り組みがスムーズに進む事例は決して多くない。とくに製造業やサービス業などのマンパワー頼みになりがちな業種では、DXの入り口に立てていない企業もある。
三枝幸夫氏は、タイヤメーカー大手のブリヂストンでCDO(最高デジタル責任者)を務め、デジタル部署を率いてタイヤ周りのサービスを形にしてきた。現在は出光興産で、社内・顧客・エコシステムのデジタル化を推進している。
出光興産が目指す「2050年カーボンニュートラル実現」に向けた取り組みを軸に、三枝氏が大企業におけるDX推進の要諦を語ってもらった。

日本は今、欧米の国や企業と比べて“デジタル後進国”だと言われていますが、私はそこに忸怩たる思いを感じています。
もともと日本は技術力のある国で、サービス業でも製造業でも、現場の第一線で働いている人たちのクオリティは世界トップレベルだと思っています。その日本が“後進国”なんて呼ばれるのは悔しい。テクノロジーを活用し、世界の最先端に行けるように貢献したいのです。
現在、CDOを務めている出光興産は、カーボンニュートラル(GHG排出ネットゼロ)に向かう世界的な取り組みにとどまらず、日本で課題になっている地域の過疎化や高齢化の問題にも、大きく貢献できる可能性を秘めています。
デジタルという武器を使いつつ、豊かで便利な部分を守りながら、環境にやさしい社会づくりを目指したいと思っています。

私は機械いじりやものづくりが好きな子どもでした。家のポストに手紙が届いたときに「ピンポン」と鳴る簡易的なセンサーを作ったこともあります。
高専卒業後はブリヂストンに入社。エンジニアとして、長年生産技術の開発に従事しました。工場のマシンの制御設計やロボット、今風に言うとIoTやAIなども自然に使う環境でした。
ところが、2008年のリーマンショックで世界の需給バランスが大きく変わりました。
日本の製造業は大きなダメージを受け、社内のエンジニアはものづくりをする者として会社に貢献できる“新しい価値”が問われたのです。
従来のように工場のことだけを考えるのではなく、製品がマーケットに出ていき、お客さんに使ってもらうまでの流れを考えなければいけない。そのような結論にいたりました。
しかしながら、当時のブリヂストンでは生産や販売の各部門、サービスを提供しているパートナー会社などのバリューチェーンがうまくつながっていなかった。
そこで私は「バリューチェーン全体を見る機能」の重要性に気づき、マーケット側の担当役員と話したところ「それならあなたがやりなさい」という話になり、会社のデジタル変革に取り組むべく、CDOに就任しました。

私のCDOとしての取り組みは、まず「ゴールを明確にする」ところから始まりました。
歴史の長い会社には、完成されたビジネスモデルがあります。新しいやり方に変えていくことは、なかなか難しい。
そこで「将来のお客さんへの価値提供のために、仕事のやり方を変えていくべき」というストーリーを作り、みんなに納得してもらったのです。
チーフ・デジタル・オフィサー(CDO)として、自分のエネルギーの7〜8割は、実は地道な組織づくりに充ててきました。
現場にDXの必要性やメリットを伝えたり、業務マニュアルや研修プログラムを作ったり。「そうは言っても人がいない」「コストが上がる」といった言葉と向き合い、一つずつ潰していく。
ものづくりをおこなう企業にとって、一番の競争力は“現場のクオリティ”です。現場がきちんと納得して、主体的に取り組める環境を作ることが何よりも大切だと思います。
加えて、DXの難しいところは、お客さんも一緒に変革していかないと価値を生み出すことができないということです。
ブリヂストンでは「Tire as a Service」として、ビジネスモデルの転換を図りました。タイヤを売るだけではなく、タイヤのメンテナンスサービス全般の付加価値をつけて、サブスクリプション形式で提供したのです。
「買い切りのタイヤのほうが安くていいのでは?」というお客さんに価値を感じてもらうため、サービス員が訪問してタイヤの空気圧やキズをチェックしたり、日報から走行履歴を調べたり。
そうやってデータを集めていくと、「毎月空気圧をメンテナンスすると燃費が数%上がる」という実証ができ、そこで初めてお客さんに「お得だからやってみようかな?」と考えていただける。
そこからはデジタルの出番です。
タイヤにセンサーをつけ、車輛に通信機を積んだりすることでデータが自動的に集まり、毎回サービス員がお客さんを訪問する必要はなくなりました。
2020年1月、30年以上在籍したブリヂストンから出光興産に転職しました。同社が昭和シェル石油と経営統合し、事業転換を図っていくタイミングで「DXを推進したい」とお声がけいただいたことがきっかけです。
出光興産に感じた魅力は2つです。
1つは社会がカーボンニュートラルに向かう中で、大きなキーファクターを握っていること。
もう1つは、バリューチェーンのスマイルカーブにおいて、川上の先端素材と川下のアフターサービスのインフラを持っていることです。
この両端は最も付加価値を出すことができ、携わりたいと思っていた領域でもあったため「改革が進めばものすごい会社になる」とワクワクしたことを覚えています。
また、CDOとして社外のIT系の方々のお話を聞く中で、複数の会社でキャリアを積んできた人の話は幅が広く、奥深さを感じていました。世の中の流れとして、転職に対するハードルが下がっていたことも追い風になったと思います。

出光興産のデジタル変革には3つのコンセプトがあります。
1つ目は、デジタルで社内業務を効率化する「Digital for Idemitsu」。
2つ目は、顧客に新しい価値を提供する「Digital for Customer」。
3つ目は、企業間連携によってシナジーを生み出す「Digital for Ecosystem」です。
先日(2021年5月11日)、2030年に向けた事業戦略の一つとして「スマートよろずや」コンセプトを打ち出しました。
これは全国に6,300ほどある出光のサービスステーションを、給油所としてだけではなく、地域の人たちの生活をより便利で豊かにしていく拠点に業態転換していく取り組みです。
モビリティを起点にして、さまざまなサービスを必要な時、場所へ提供することで、地域の困りごとを解決するコミュニティを目指しています。
地域ごとに人口やインフラは違い、課題や優先順位も異なります。その中でいかに地域に即したサービスを提供できるか、そのためのエコシステムを構築できるかが重要です。
エコシステムの構築は、日本企業がとくに苦手とするところ。だからこそ我々のようなデジタル部隊が先頭に立ち、成功モデルを作っていきたいと思います。

あまりデジタルっぽく聞こえないかもしれませんが、DXを進める上で一番大事なことは、サービス員を送り込み、困りごとを徹底的に調べ上げ、お客さんも気付いていないようなことを提案していくプロセスにあります。
「こういうサービスを提供すればお客さんに喜んでもらえるのではないか」と考える“人”を作っていくことが、これからの最大の課題になるでしょう。そこまで考えきれば、あとは開発会社に便利なサービスを作ってもらえばいい。
我々はIT企業ではなく事業会社です。お客さんとのコミュニケーションがテクノロジーに寄りすぎないように、社内でも意識しています。
とくに製造業やサービス業では、テクノロジーよりもビジネスに寄った活動をすることが大事です。今後の日本企業のDXにおいては、「現場の強さを活かすDX」がキーになると思います。
ブリヂストンでも、出光興産でも、いつも心が折れそうになりながら、忙しい現場の人たちに「新しい取り組みをやっていきましょう」と話し続けてきました。
優秀な現場の人たちが、新しい武器で仕事を変革していけるようにすること。そのためにいろいろな部署をまたぎ、テクノロジーとビジネスをブリッジしていくことがCDOの役割です。
私が成し遂げたいと考える、豊かで便利で、環境にやさしい社会づくりを実現していく中で、国が打ち出している「2050年カーボンニュートラル」がひとつのゴールになります。ですがこれは、ちょっと遠い未来なのでイメージしにくいと思います。
そこでもうひとつのゴールとして、2030年を意識しています。2030年は見通せるレベルでの近未来。技術的にも量子コンピューターが実用化されるなど、転換点にもなります。
そのときに日本の持つ質の高いサービスや技術、ノウハウをグローバルに展開していけるプレイヤーになっていたいと思います。
編集:宮原透、南部菜生子 取材:落合真彩 撮影:Masanori Naruse デザイン:鈴木雅人
Expert Storyは、NewsPicks Expertで活躍している
エキスパートの深層を探る、インタビューコンテンツです。